釣りのお話

スピンキャスト普及委員会委員長の釣りのお話

火垂るの墓

 
今日は、シリアスなお話でもある
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この、ジブリ系のアニメは、あまり人気が無いのかもしれません(暗いし)
ただ毎年夏になると、恒例行事のようにテレビで放送するんだ
感極まって涙する方もいらっしゃるだろうし、様々な感情が入り乱れている様子でもある
 
 
まぁ、お母さん目線での実写番なんていうのもあったね
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私は時々変な所を見てしまう癖があるらしく、
どうしても皆様に一緒に考えて欲しい所があってしょうがない事例があった
 
それが『火垂るの墓』のせっちゃんの死因なのです。
 
 
私は過去に、あまりの空腹で道で倒れてしまったことが1回、食中毒が数回、
ゴールデンウイークに無一文になりハンバーガー1個で過ごしたという
ナカナカの食糧難の持ち主ではあるが、さすがに死んだことは無い
 
 
 
火垂るの墓(知らない人はいないと思うが)
大まかなあらすじ
 
1945年(昭和20年)9月21日、清太は省線三ノ宮駅構内で衰弱死した。清太の所持品は錆びたドロップ缶。その中には節子の小さな骨片が入っていた。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げる。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、やがて静まる。
太平洋戦争末期、兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)に住んでいた4歳の節子とその兄である14歳の清太は6月5日の神戸大空襲も母も家も失い、父の従兄弟の未亡人である兵庫県西宮市の親戚の家に身を寄せることになる。
当初は共同生活はうまくいっていたが、戦争が進むにつれて諍いが絶えなくなる。そのため2人の兄妹は家を出ることを決心し、近くの貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めるが、配給は途切れがちになり、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていく。清太は、畑から野菜を盗んだり、空襲で無人の人家から物を盗んだりしながら生き延びる。やがて日本が降伏し戦争は終わった。敗戦を知った清太は、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされショックを受ける。
節子の状態はさらに悪化し、清太は銀行から貯金を下ろして食料の調達に走るが、既に手遅れで、幼い妹は終戦の7日後に短い生涯を閉じた。節子を茶毘に付した後、清太は防空壕を後にして去っていくが、彼もまた栄養失調に冒されており、身寄りもなく三ノ宮駅に寝起きする戦災孤児の一人として野垂れ死ぬこととなる。
(ウイキより) 
 
 
 
 
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素晴らしき兄弟愛なのでしょう
感動や、名シーンの数々はあったのは分かる(。´Д⊂)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし、野良での生活
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彼らは地元の河川で、タニシを取って食べました
しかも...こんな真夏に...
 
これは絶対にダメだ.( ´_ゝ`)
真夏の淡水魚でも若干キツイ感はある
江戸時代、土用の丑の日
夏になるとうなぎが売れない
そこで平賀源内(エレキテルの人)の人に相談
が看板に(本日丑の日)とだせ!との話で繁盛したらしい
まぁ夏場は味が落ちるので、8月前には売り切っちゃいましょうって所じゃないっすかね
ましてや、河川の巻貝こんな暑い日に取った巻貝は、危険極まりない
食中毒は必須であったろう
 
 
 
 
 
 
 
 
そして彼らは、防空壕で暮らすことになった
 
こんな真夏に、風通しの無い場所で...
おそらくは涼しいのかもしれませんが、
 
この中で煮炊きするシーンもありましたね
 
 
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ホタルの寿命は、オスが3.3日、メスが 5.7日と聞きます
 
これが一晩にして、全滅というのは
若干の一酸化炭素中毒を起こしていたのではないか?
と考えられないでしょうか?
 
現代でも尚、炭火やガスなどを用い密閉された空間で使用し
体の具合を悪くする方、命を落とす方もいらっしゃいます
.( ´_ゝ`)結構危険
 
 
 
食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていく。
 
一般的にあらすじではそう捉えるのだろうけれど
私には、無学で無知であることによる無謀な行動により、自ら不幸を選択してしまった
 
どのようにすれば食料を得られるのか?
周囲の大人の話を聞くこと
素直に人の意見を聞き入れること
 
おそらく、その時代を生きた人は、
今でもいらっしゃると思うが、その人口は減少してきつつある
 
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今は生きる安全性の確保もなされ
尚且つこういったインターネットという媒体による知識の共有も可能である時代でもあります
今年の夏も放送されるかもしれません
これからを、しっかり確実に生きる
自分自身とその身の回りの命を守るための経験と知識は大切ですね